「ルルーシュ、起きて。ルルーシュってば」
ゆさゆさと体を揺すりながら起こすと、僅かに眉根を寄せ、ふるりと長いまつげが震えた後、ゆるゆると瞼が持ち上がり、紫色の瞳が姿を現した。焦点の合っていなかったアメジストの瞳は、次第に知性をに満ちた光を宿し、こちらを見つめてくる。
その瞬間が好きだなと思った。
「おはよう、ルルーシュ」
「・・・ああ、おはよう、スザク・・・なんでそんな恰好をしているんだ?」
ぱちぱちと数度瞬きした後、ゆっくりと起き上がったルルーシュは、まだ寝ぼけているようで、目をこすりながらこちらを見つめてきた。スザクは今、道着と袴を身につけており、その姿は子供のころを思い起こさせた。
「ああ、これ?僕は運動する時はいつもこれだよ。子供の頃からそうだっただろ?」
確かにあの頃のスザクも、体を動かす時は必ずこの恰好をしていたが、日本がなくなりエリア11となったことで、この手のものは手に入りにくくなったはずだ。
つい手を伸ばして袖を引っ張ったり、袴の丈を確認してみるが、ちゃんと今のスザクのサイズに合わせて作られたものだった。
「・・・いつも着ているわりに随分と綺麗だな」
ほつれたりして痛んでいる様子がないなと、思わずチェックを入れてしまう。
そんなルルーシュの行動に、スザクは苦笑した。
「ああ、これは特派に配属されてから買ったんだ。それまで着ていたものは小さくなってたから、ちょっと動きにくかったし」
今まで着ていた物は、軍に入る前に手に入れたものだった。もう亡くなってしまったが、一緒に暮らしていた人が用意してくれたものだった。大きいものを用意してくれたのだが、成長期の体はあっという間にその道着よりも大きくなってしまった。
特派に入ってからお給料も貰えるようになったため、すぐに道着を仕立ててくれる所を探し、誂えたのだ。
「そうか。お前は本当に道着と袴がよく似合うな」
上から下まで改めて見て、ルルーシュはそう言った。
「そうかな?」
「カッコよく見えるぞ」
「ほんと!?」
ルルーシュが褒めてくれるなんて!と、スザクは嬉しそう笑った。
「ああ。童顔なお前が着ると、すこし凛々しく見えるからな」
精悍さが増すと言うべきか。
頼りになる男に見えるというか。
日本人にいじめられていたルルーシュを助けるため駆けつけてきたスザクが、この恰好だったから、余計に頼もしく見えるのかもしれない。
「なにそれ、馬鹿にされてるのか褒められてるのか解らないんだけど・・・」
先ほどの喜びから一転、シュンとした表情でいうのだから、ルルーシュは思わず吹き出してしまった。
「褒めているに決まっている。で、どうしてお前、そんな恰好でここにいるんだ?」
昨日は持ってきてなかっただろう?
「どうしてって・・・ルルーシュ、時計見ようか」
言われるままに時計を確認すると、時刻は間もなく8時になろうとしていた。
「・・・!?」
その時間に、思わず言葉を失いぴしりと硬直した。
ああ、これはショックのあまり思考停止したか、反対にものすごい勢いで今日の予定を計算しなおすため思考に没頭しているかのどちらかだ。
「なかなか起きてこないから、もしかしたら倒れてるんじゃないかって、特派の方に連絡が入ったんだよ」
学園で話しをし、ここに戻ったのは4時頃。
ルルーシュは戻ってくる間にも車の中で寝てしまったため、スザクが背負って政庁内に侵入し、警備にも見つかることなくどうにか戻ってこれた。
警備がざるなわけでは無く、ルルーシュが事前に警備に穴が開くように手をまわしていた。だから、聞いていた時間通りに指示された場所に行き、予習していたルート通りに移動しただけだった。さすがルルーシュだなと思うが、こんな才能は危険だなとも思う。ルルーシュは誰にも気づかれることなく、この政庁を抜け出せるということだから。
そして寝室に戻ってきて、ルルーシュをそのまま寝かせた。だからルルーシュは今も昨日の私服のままだ。また着替えさせるのは無理と、最初からスザクが諦めた結果ともいえる。理由はもちろん、考えないようにしている。
スザクも一緒のベッドに潜り込み6時まで仮眠を取った後、軍服に着替え、警備の人間や、ルルーシュの護衛をしている夜勤の軍人を探して声をかけてから政庁を後にした。
スザクが特派に向かうのは8時だから、日課の鍛錬をする時間はまだあると、自室に戻って道着に着替え、鍛錬をしている最中に呼び出されたのだ。
何度コールしても返事がないという焦った声で入った連絡で、大急ぎで寝室へと戻ってきたスザクは、爆睡していたルルーシュを目の当たりにし安堵と共に深い深いため息をついた。サイドテーブルに置かれた携帯は、着信を示すランプが点灯し、目覚ましもけたたましくなっている中、爆睡しているのだ。
しかも起こしてもなかなか起きなかった。
スザクが側にいることに安心して警戒を解いてくれたのは嬉しいが、暗殺者が今日来ていたらとおもうと背筋が震えた。誘拐されても、目を覚まさなかったに違いない。
今度ここで休む事があったら、道着と木刀を持ってこよう。
この寝室は広くて天井も高いし、これだけ起きないなら、ここで素振りをしても問題はないだろう。窓は開けるが、汗臭くなるのはこの際我慢してもらう。
ここで鍛錬をし、次官になったら起こす。
そうしよう。
決定。
そこまで考えた時、ようやくルルーシュはフリーズから回復した。
「起きれるかい?」
「ああ、大丈夫だ」
ベッドから降りたルルーシュはサイドテーブルに置かれていた携帯を取り、手早く操作した。
「ジェレミア卿に?」
「それもあるが、今日の予定が大幅にずれ込みそうだからな、先に調整をする」
「そっか。あ、シャワー借りていい?着替えたいんだけど」
緊急事態だと道着のままで走ってきたが、流石にこのまま帰るわけにいかない。念のため着替えを詰めて来ていたのでそう尋ねると、好きに使えと返ってきた。
シャワーを浴び、私服に着替え終わった後も、ルルーシュは寝室で電話をしていた。窓辺により、高層から見える外の景色を眺め、不機嫌そうな表情のまま話し続けている。
スザクに気付いたルルーシュが視線を向けてきたので、スザクは「帰るからね」と、声を出さずにいうと、「すまなかった」と、こちらも声には出さずに言ってきた。
部屋を抜け廊下に出ると、ジェレミアとヴィレッタが待機していた。
「枢木准尉、殿下は目を覚まされたか」
その言葉で、彼らの事は後回しにされているのだと知った。
「大丈夫です。今日の予定がずれ込んでしまったと、今慌てて連絡を入れていますよ」
「そうか、ご無事ならいいのだ。すまなかったな、朝早くから」
強張っていた表情を緩め、ジェレミアは安堵の息を零した。
ルルーシュに聞いた話だが、マリアンヌ后妃の警備にジェレミアもいたという。その事もあって、ジェレミアはクロヴィスに自分たちを是非ルルーシュの護衛にと願い出たのだとか。
もう二度と、暗殺などと言う卑劣な手段で、尊い血を失うわけにはいかない。
だから余計にルルーシュへの暗殺を気にかけているのだろう。
純血派を結成したのも、マリアンヌ后妃の暗殺者がテロリスト、つまりブリタニア人では無いと判断されていたからだ。純血派が名誉を嫌う理由もそこにあり、再び同じようなテロが起きるのを防ぐため、ブリタニア軍はブリタニア人だけで固めるべきなのだと、属国のものを排除しようとしていたのだ。
だが、その守るべき皇族がブリタニア人よりもイレブンを信用している以上、その考えを改め、スザクを認めようと努力していることが見て取れた。
「また何かあったら呼んでください」
「ああ、その時は頼む。ところで、枢木准尉は携帯を持っていないのか?」
今日の呼び出しも、一度特派に連絡をし、そこからスザクへと連絡が行った。
緊急事態も想定した場合、これでは色々と不都合があるため、持っているなら直接かけたほうがいいだろう。そう言ってきたジェレミアに、思わず苦笑してしまった。どうして笑うのだと、ジェレミアは不思議そうに眉を寄せ、ヴィレッタは礼儀を知らないイレブンがといいたげに不愉快そうな顔をした。
「ジェレミア卿、自分はナンバーズです。携帯電話を所持する事は許されていません」
携帯電話を植民地の人間が持つ事は禁止されている。
インターネットの使用もまた禁止されている。
その事を失念していた二人は、ハッとした表情となった。
「そ、そうだったな。だが、それでは何かと不便ではあるな」
ジェレミアの本心としては、やはりイレブンであるスザクを頼りたくはないし、ルルーシュの傍から排除したいとも思うのだが、今のような事態になった時、ジェレミア達がいくら警備担当だからと言っても、皇族であるルルーシュの私室にスザクのように上がり込む真似は許されないのだ。
例え緊急事態だとしても、警戒心の強いルルーシュにそのことで不信を買い、警備から外される事も恐れている。
ルルーシュに関する限りは、自分たちが動くよりもスザクを動かした方が間違いないことは、昨日のことで痛感しているのだ。
それに、連絡を受け、10分とかからずに駆けつけたスザクの、まるで主君の元へ駆けつけてきた騎士のような姿にも好感が持てるし、何より昨日来たばかりのスザクは、既にルルーシュの私室のセキュリティカードを所持し、静脈認証登録までされていて、あっさりと厳重なロックを解除し室内に駆けこんでいるのだから、自分たちよりも信頼されていることもよく解った。
つまり、枢木スザクに関しては7年と言うブランクがあるにも関わらずルルーシュが絶対の信頼を置いている事は誰の目にも明らかで、スザクがどれほど無礼な事をしても、口喧嘩はすれど叱りつけるような事は一切ないし、最終的にはスザクの意見を受け入れようとする。
認めたくはないが、ルルーシュの健康と安全のためには欠かせない人物だと、理解したため、緊急時にスザク本人にすぐ連絡が取れるようにしたいのだが、イレブンと言う壁がそれを邪魔してしまう。
本気で悩みだしたジェレミアに、スザクは大丈夫ですよ。と笑いかけた。
「殿下もおそらく同じ事を考えてますから、なにか方法を考えると思います。幸い、僕はランスロットのデバイサーですから難しくはないでしょう」
KMFに乗ることでさえ、特例中の特例なのだ。
ならば、その立場を利用した新たな特例でもきっと用意するに違いない。
「確かに、ルルーシュ様ならきっと何かいい案を考えられるだろう。引きとめてすまなかったな」
「いえ、では自分はこれで」
スザクは一礼すると、その場を後にした。
政庁を出ると、スザクは空を見上げながらサングラスを掛けた。
昨日のルルーシュの視察でロイドが何かインスピレーションをえたらしく、あの後からずっとセシルと共にランスロットの計器をいじり続けていた。先ほど鍛練中に「今日は非番でいいよ~」と、徹夜でへろへろっとしながらも幸せそうな笑顔付きでロイドに言われていた。
つまり、今日は暇だったのだ。
ルルーシュは電話で忙しそうだったから言えなかったが、失敗したなと思う。
政務を手伝う事は出来ないが、今日一日護衛をする手もあったし、何か欲しい物があるか聞いておけば、街に出て買い物をして時間を潰せたのに。
さて、どうしようか。
そんな事を考えていると。
「どいてくださーい」
頭上から声が聞こえてきたので慌てて見上げると、女性が空から降ってきた。
かなりの高さだ。このままでは怪我では済まないだろう。
荷物を放り投げ、スザクはその女性へ手を伸ばした。体全体を使い、抱きとめた時のショックも緩和させることに成功し、スザクは安堵の息をつく。
昨日といい今日といい、心臓に悪い事ばかり起きている気がする。
今年は厄年だっただろうか。
「大丈夫ですか?」
抱きとめた女性を伺うと、女性はこちらを見上げてきた。桃色の長い髪がよく似合う、透けるような白い肌の美しい少女だった。
少女はスザクを見て、その大きなスミレ色の瞳をぱちくりと瞬かせた後、どうして自分がスザクの腕にいるのだろうと、視線を暫くさまよわせた。
何せ上から落ちてきたのだ、軽く気が動転しているのだろう。
「どうかしましたか?」
スザクがそう声をかけると、少女はにっこりと美しい笑顔を向けてきた。
「どうかしたんです」
「え?」
「実は私、悪い人に追われているんです」
そう言って彼女は強引にスザクの手を引くとその場から連れ出した。
桃色の長い髪をなびかせ走る少女と、手を引っ張られるように走る栗毛色の髪の少年が政庁の門をくぐり抜け、街の喧騒の中へと姿を消した。
二人の仲の良さそうなその姿は、政庁の高層からも良く見えたという。